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カルメンマキのメッセージ



3月11日、午後2時半ごろ、

   いつもだったらまだお日様カンカン照ってるのに

   急に寒くなって空模様も怪しくなって来たので、

   一瞬「おかしいな」とは思ったのです。

   乾していた布団を取り込もうとベランダに出ると植木鉢がガタガタと音を立てて
   揺れている。

   風が強いだけではないことは5秒と経たずわかりました。

   あっという間に建物全体がグラグラと揺れ私が部屋に飛び込んだ途端、

   CDラックが転倒し、本棚の上に飾っていたファンからいただいた私の肖像が落ちてきて

   ガラスの破片が床一面に飛び散りました。

   トイレや玄関の鏡は割れ、物がそこら中に散乱しています。

   幸い私は怪我はなかったけれど、リビングのテーブルの下にもぐりこみ

   おもわず両手を合わせて額にこすりつけて

   「早く止まって~」「助けて~」と声を上げて叫んでいました。

   涙声で。(大袈裟じゃなくほんとに)

   人生60年近く生きてきて、初めての、経験したことのない恐怖でした。

   これはただ事じゃない・・・この時すでに

   後でわかる大惨事の予感はあったような気がします。

   けれど、その後に繰り返されるテレビの報道を目の当りにして

   その悪い予感が想像以上のものであったことが徐々に明かされてゆくのでした。



   そして、翌日

   最も怖れていたことが起こってしまいました。。。

   福島第一原発の1号機の爆発!


   背筋がぞっとしました。

   そしてすぐさま蘇ったのは

   今から16年前、福井県敦賀原発の高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開を巡る反対運動で
   す。

   事故を起こしながら、マスコミには事実は公開されず

   のちに隠蔽工作が発覚して、その陰で人2人が変死しています。   

   「もんじゅを止めろ~」と叫びながら体を張って反対した大勢の人達がいたこと、

   当時、その模様を連日のようにテレビやマスコミが報道していたこと、

   にも関わらず、住民や多くの反対派を無視した形で「もんじゅ」は再開されたのでした。

http://www.gensuikin.org/frm/gnskn/news/100423.html

   私はその反対派でした。

   彼等に交じって運動こそしなかったけれど、

   私は日本に原発を建てることには反対でしたし

   今でもそれは変わっていません。

   きっかけは広瀬隆氏の著「危険な話」でした(1987年4月「八月書館」のち新潮文庫)。

http://ww7.tiki.ne.jp/~onshin/danger01.htm

   (↑これはコラムで、読むのは大変かもしれませんが、これを読むと今回の福島、そして
   お隣にある女川原発が過去にも事故を繰り返していたことがわかります)。

   
   私は1988年に八ヶ岳麓で3日間に渡って開催された

   「NO NUKES,ONE LOVE」というイヴェントに参加し

   そこでライブを行い、広瀬隆氏にもお会いして少しだけお話しもしました。




   起こるべくして起こった・・・といっても過言ではないでしょう。
   
   爆弾発言、問題発言と批判されても、誤解を恐れず言わせてもらえば

   日本人は神の怒りに触れ、試されたのです(勿論私も含めてです)。

   戦後の平和ボケのまま物ばかりが豊かになったために

   (ちなみに以前マザー・テレサが来日した時の「物足りて心貧しき人々」という発言は
   忘れられません)、

   今度は逆転して今の不況の中で途方に暮れ、なす術もない。

   国会で議論されるのは、政治家のお互いの足の引っ張り合いばかりで

   それはまるで茶番劇、子供の喧嘩を見ているようで

   私は思わずテレビに向かって

   「そんなことを話している場合じゃないだろう!」と怒鳴ってしまうこともしばしば。


   考えるまでもなく、この国の現状は最悪で

   いつまでも、どこにも出口の見つからない閉塞感が国中に充満しているのにも関わらず

   それに気付かぬふりをして毎日をやり過ごすしかない。

   政治家も国民もまるで危機感というものがない。あっても、それは現実感を伴わない。

   なにもかもが対岸の火のように実感がなく

   自分の今日を生きることで精一杯なのです。

   
   自分がどう在りたいか、将来はどんな風になっていたいか、などということは、

   それが出来うる最低限でも、ベースというものがあってこそで

   その足元がこんなにグラグラとして実態さえ掴めないのでは

   個々の未来や将来の、夢や希望を持つことさえできないだろう。



   今回の大惨事は日本という国に住む私達にとっては

   試練であり教訓であるのだと思わずにはいられません。

   こんなに酷い、こんなにも多くの犠牲を払ったのだから

   今こそ私達はひとりひとりがもう1度(或いは初めてと言ってもいいかもしれない)

   この国を冷静に見渡し、真剣に考えるべきだと思うのです。

   被災者の方達と亡くなった方達の死を無駄にしないために。

   多くの犠牲者に報いるために。
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2011/03/18 23:17 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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